シアワセってなんだっけ?なんだっけ♪ [最近観た映画]
ツタヤで借りてたDVDの返却期限が迫ってたのでこの週末
一気に2本の映画を観た。
あ
ひとつは猟奇的殺人を常習ととする夫婦に巻き込まれていく気の弱い男
もうひとつは江戸末期から明治の激動を、
まっすぐな信条を貫き通して生きて「そろばん侍」と呼ばれた男の話
「冷たい熱帯魚」は思ったよりハードな描写、、、っていうか
もう死体解体のシーンはスプラッターそのもの。
あ
電気消した部屋で一人で観たので臨場感は相当でした。

映像のグロさ(それに負けないくらいのエロさも。。エロ全開のシーンで
家族が部屋へ入ってきたらどうしようと思うとそれはそれでドキドキでした。)も
然ることながら気弱な主人公を
ぐいぐい自分のペースで共犯に巻き込んでいく
‘でんでん‘演じる村田が凄い。
すべてにおいてイッちゃってる
エキセントリックな行動と自身を正当化する論理は無茶苦茶なんだけど、
なぜか圧倒的な力を持ってじわじわと迫ってくる。
そして気弱な主人公と自身がいつしかダブって見えてきて
こんな世界は自身の生きている此処とはまったく異世界のはずなのに、
いつでもすぐ横に寄り添っている感覚がじわじわと迫ってくる。
ホント夜中に暗い部屋で観る映画ではなかった(笑)。。
あ
そして一夜明けて土曜のうららかな午前の陽の中で観たのが「武士の家計簿」。

こちらはうって変わって愚直でも真摯にまっすぐ生きた男と
それを支えた家族をほのぼのと描いていて心穏やかに観れました。
ちょっと淡々とし過ぎて間延びしたけどやわらかな気持ちになれました。
あ
この二日に渡って観た二本の映画は一見全然違う映画のようだけど、
ふとある共通項に思い当たった。
あ
それは常軌を逸して繰り返す殺人を「こんなもんは慣れだよ。慣れ」と言う村田も、
「何事もほどほどに」と寄りかかってくる世間に、
自身の信条をもって抗い通した一介の武士も、
その行動の根っこにあったのは一切ぶれない自らが考える「しあわせ」の希求だったように思う。


もちろんこの二人の定義した「しあわせ」はまったく相容れないものだったけど、、、、、。
ともに実際の事件、実在の人物をモデルにした映画だけに
うむむ。。。と考えてしまった。。
あ
ホント「シアワセってなんだっけ?なんだっけ♪」と
冬の食卓を家族で囲み食す鍋にポン酢をかけながら、
ならばお前はどうなんだと
自身の「しあわせ」のイメージに思いを馳せる40オヤジでした。うっとおしい女、【約束のない日曜日】。 [最近読んだ本]
約束のない日曜日 (ポプラ文庫 い 2-2) の主人公に対して思った。

そもそもこの1冊自体がとっても不思議な本だった。
正直僕にとって共感できる本ではなかった。
物語は深く大きな恋を失ったアラサー女が
その傷から立ち直って行く兆しを描いたものなんだけれど、
まず文体というか文調がなんとも独特。
小説ではあるのだけれどどうやら著者の実体験にも少なからず関わりがあるようで、
終始これでもかというくらい一貫して
主人公女性の閉じた世界観目線でポエムのように綴られている。
主人公の日記を読むような、その陶酔したような文体・トーンは時には滑稽ですらある。
ベタにいうと勘違い女のたわ言のようなカンジ。(著者ファンの方スイマセン。。)
あ
そのレビューを読んでみると、井形慶子さんを好きな人は
彼女自身の生き方・ライフスタイル自体に共感したコアなファンが多いようで、
確かにそういう人たちにはこの独特の世界観がたまらなく好きなのかもしれない。。。
あ
僕自身は「なんじゃこの小説は?!」と戸惑いながらも、
今まで出会ったことのないこの小説を「こんな世界観もあるんだ」と
初めて口にする世界の珍味のように読み終えた。
その率直な感想が「この女うっとしいな」である。(笑)
あ
物語自体は主人公の心の揺れを微細まで描いていて深みもあるんだけれど、
なぜか主人公に共感できない。
それはやっぱりこの小説独特の世界観にあるようだ。
主人公に関わる回りの人たち全ての心理描写や行動理由、
それは本来読み手にとっては客観であるべきなのに、
それすら主人公の主観で語られているのでとにかくうっとおしいのだ。
「勘違い女がなに一人で悶々と自分勝手に陶酔してんねん!」とイライラしてきて、
でもいつしかそのイライラを楽しみにこの本を読み進めている自分がいた(笑)。
それは嫌いなタレントや文化人の「痛さ」をテレビやメディアで観るにつけ
「やっぱり嫌いやわコイツ」と再確認するような楽しみに似ている。
あ
おそらく同じ設定・展開のこの物語を別の作家が描いたなら
全然印象は変わるんじゃないかと思う。
それほどこの珍味は、素材は普通なんだけれど調理法がまったくもって独特なのである。
ぜひ、みなさんもこの珍味一度味わってみてください。
好きになれない本だけれど、読んで損はない。そんな不思議な1冊です。久々ツヨシに教わったこと。 [気になるコト・モノ]
「明日から仕事か。。正月休みはいつもあっという間に終わるな。。。」
毎年のようにそう思いながら、
いつもの判で押したような正月も、ここ2年ほどは娘の受験やら、
親父が亡くなったりやらで少しずつ変わってきた。
ま、最近は正月に限ったことじゃなく娘たちも大学生と高校生なもんで、あまり家にいない。
結果、嫁さんと二人で過す時間が増えてきた。
なんだかプチ老後のようでちょっとケツのあたりがむず痒い(笑)。
当たり前のすべてのことがすこしずつこうやってカタチを変えていくのだろう。
あ
ところで去年の紅白。
久々長渕が出るってことで、しかも被災地福島から新作の復興を望む鎮魂歌を唄うってことで、
期待半分、心配半分、テレビの前で登場の時間を待った。
なにせ10数年前、
彼は同じ紅白の場(そのときは東西ドイツ統合で崩壊したベルリンの壁からの生中継)で
NHKスタッフに「タコ野郎!」と悪態をついた前科を持っている。
あれから大人になったとはいえ、また悪い癖が出て生放送で暴走するんじゃないかと、
筋肉バカになってからはちょっと疎遠だったけど古参の長渕ファンとして気を揉んでいた。

でも杞憂だった。
それほど紅白の「ひとつ」は本当によかった。
あ
それでも中継冒頭のコメントで2分以上もしゃべるし、陶酔顔でカメラ目線をくれるわで、
「ああ、そんなにしゃべったらまたいろんなところで叩かれるよ」とか
「またナルシスト野郎とか、暑苦しいとか言われるよ」とか
まるでピアノ発表会の我が子を見つめる親のような心境で画面の長渕を見守った。
僕自身が歳を重ねるごとに、
常に「誰か」から見えているはずの「自分」の意識ばかりが大きくなってきた。
そんな中、今回の紅白の長渕に対しては、
ツイッターとかで概ね好意的なコメントが大半ではあったけれど、
あの皆が口にしないような臭い台詞を照れもせず吐く長渕のいつもの物言いに対して
やはり世間では少なからず「痛い人」とも受け取られたようだ。
そう、僕自身もいつしか長渕にそれを感じていたからこそ、
最近はあまり長渕の歌に共感できなくなっていた。
あ
でも、今回の「ひとつ」は本当に素直にいいなと思えた。
そして何より、いつも「誰か」の目に映る「自分」ばかりが気になってしょうがない
今の自身に対してちょっと省みるきっかけを長渕がくれたことをうれしく思う。
アンチ長渕派がどう思おうと、
今回の紅白の長渕は、
年が明けて誰かがUPしたユーチューブのコメントを
「心が動かされた」「なぜか自然と涙が出た」といった言葉で埋め尽くさせた。
これはまぎれもない事実だ。
あ
そ
そして僕は僕で、そのUPされたユーチューブの長渕を
なぜか何回も何回も再生して観てしまう自分を不思議に感じつつ、
「自分にとっての自分を貫くバカさや臭さも良いもんだな」と
思って過した正月だった。



